スコットランド出身のゴードン R.マッキナリーRI会長は、優先事項を実現する準備ができています
毎年1月にイギリス全土で開催される「バーンズ・ナイト」。スコットランドを代表する詩人ロバート・バーンズ(1759-1796)の誕生日を祝って、彼の歌や詩を披露・鑑賞する日です。そしてもちろんスコッチウイスキーやスコットランドの伝統料理・ハギスも振る舞われます。これぞまさにスコットランド。自宅にほど近いスコティッシュ・ボーダーズの町ガラシールズで、ゴードンさんも友人たちと一緒にバーンズ・ナイトを楽しんでいます。
連れ添って42年の妻ヘザーさんは、1997年にグラスゴーで開催されたロータリー国際大会の時に仕立てたサッシュ(リボンや帯の一種)をまとって、子ども時代から慣れ親しんだバーンズの歌を朗々と歌い上げます。音楽の専門教育を受けた彼女は、オペラ歌手であり、音楽教師でもあります。
少しのもので満ち足りて、もっとあれば陽気にうかれ
悲しみと苦労がおいでなさるときはいつも
忍び寄るところを追い返す
旨いエールとスコットランド民謡で
郷土料理ハギスは羊の内臓とタマネギ、オートミール、牛や羊の脂肪、塩コショウ、数種類のスパイスをブイヨンと混ぜ合わせ、羊の胃袋に詰めて煮込んだ伝統料理です。マッキナリー夫妻は旅する先々でハギスの魅力を広めています。
「アメリカで、このスコットランドの伝統料理を作るために地元の食材を調達して、ホテルの客室の電子レンジで調理したら、1週間ずっとハギスの臭いが部屋に残りましたね。シカゴ滞在中は、RI理事会の方々にもハギスを出しました。皆さん気に入ってくれたようですが、何を食べているのかお分かりではないようでした」とヘザーさんは言います。
ゴードンさんは、エディンバラの風光明媚(めいび)な海辺の町ポートベローで育ちました。白い砂が美しいビーチで有名な町です。ゴードンさんの母は私立保育園を経営し、父はグレンモーレンジィウイスキーを製造するマクドナルド&ミューアで働いていました。亡くなった弟のイアンさんは3歳年下で、子どもの頃の2人はラグビーに夢中だったそうです。
10代後半でヘザーさんと出会い、各々の学校のフィレンツェ合同研修で、交際が始まりました。「私たちはいつも一緒というわけではなくて、それぞれが自分のやりたいことをしています。ロータリーでも、私は、セルカーク・ロータリークラブ(RC)の衛星クラブであるボーダーランズ・パスポートクラブに所属しており、ゴードンはサウスクイーンズフェリーRC会員です。仕事の都合もあって、ずっとそんな感じでした。どちらも自立していますが、夜、帰宅すると、その日あったことをおしゃべりします」とヘザーさん。ゴードンさんもうなずきます。
夫妻にはレベッカとサラという2人の娘と、アイビーとフローレンスという2人の孫がいます。ゴードンさんは妻・ヘザーさんのことを「とても心が広くて、長年にわたって私を大いにサポートしてくれています。良い相談相手なんです。いつも本当のことを教えてくれます。例えば私が発表をしたとして、みんなが褒めてくれるところを、いつも本音で語ってくれます。彼女のサポートがなければ、私は任務を全うできなかったでしょう」と話します。
二人がエディンバラのクレイグズバンク教区教会で結婚した時、メソジスト教会の信徒だったゴードンさんはスコットランド教会に移籍しました。今では教会の長老と理事を務めるゴードンさんは、これまでいくつもの教会の重職を務めてきました。
「私も亡くなった弟も、他人を助け、思いやることを両親から教わりました。このことは一生忘れないと思います。私個人の信仰や、同じように強い信仰を持つ家庭で育ったことは、間違いなく私の人生に影響を与えました」と彼は言います。
ゴードンさんはスコットランドの首都エディンバラで30年以上にわたって歯科診療所を経営し、2016年に退職。後進の指導にも携わり、イギリス小児歯科学会の支部会長も務めました。退職後、夫妻は長年住み慣れたサウスクイーンズフェリーを離れ、スコティッシュ・ボーダーズに移住。30年以上抱いていた思いがかなったのです。
「先祖がボーダーズ出身だからいつかそこでついのすみかを持てればいいね、と話していました。母方は農家で、母は今の私の住まいから約25km離れた農場で生まれました。ボーダーズに引っ越してきてから、私のDNAが母の故郷に帰ってきたように感じる、と皆さんに言っているんですよ」とゴードンさん。
冒頭のバーンズ・ナイトに話を戻すと、ガラシールズの学校に通う子どもたちがロバート・バーンズの作品を詩情豊かに朗読するのを味わいながら、ゴードンさんはこの夕べを満喫しています。ポピー・ルン少年が「ハギスに捧(ささ)げる詩」を朗読後、芝居がかったしぐさでハギスに入刀。バグパイプやフィドルの演奏が続き、さらにはみんなで民謡を歌い、最後にはスコットランド民謡「蛍の光」の合唱が行われます。
数日後、ゴードンさんはスコティッシュ・ボーダーズの中心を流れるツイード川に臨むウォルター・スコット邸(アボッツフォード・ハウス)に来ていました。田園地帯は緑のタペストリーのようで、遠くにはローマ時代の歴史が残るエイルドン・ヒルズの円すい形の山頂が三つ並んで見えます。美しい景勝地で、ゴードンさんは普段から訪問者をよくここに連れてくるそうです。
ウォルター・スコットは、やはりスコットランドを代表する小説家、詩人、歴史家で、タータンの着用を普及させ、歴史小説の先駆者。ビクトリア女王も彼のファンだったといいます。これまでに『アイヴァンホー』や『ロブ・ロイ』といった彼の作品が映画化されています。彼の邸宅の建築様式は、エリザベス2世の避暑地であるバルモラル城など、スコットランドの多くの建物にインスピレーションを与えました。
スコットとこの地のつながりは、生後18カ月でポリオにかかった時に始まりました。右足がまひしていたので、両親は彼を静養させるためにケルソー郊外の祖父の農場に送り出しました。「ウォルター卿はポリオのせいでボーダーズに連れてこられて、そこでのちのち、彼の作品にインスピレーションを与える物語や歌を聞いたのです」とスコット邸を管理するメアリー・ケニーさんは説明します。スコットはロータリーに入会していたら素晴らしい会員になっただろうとゴードンさんもケニーさんも口をそろえます。
ゴードンさん自身のロータリーの旅路は26歳の時に始まりました。サウスクイーンズフェリーRCに入会したのは、マッキナリー家が通う教会の信徒だった友人に勧誘されてのことです。「当初、私はロータリークラブの存在を、この町で友人をつくり、地域社会に恩恵をもたらす活動ができる素晴らしい手段だと考えていました。しかし、地域だけにとどまらず、ロータリーの活動が世界中で行われていると知った時、私は心を奪われました」と彼は言います。
今ではなくなってしまったケルソーRCの会員だった3年間を除き、ゴードンさんはずっとサウスクイーンズフェリーRC会員です。1997-98年度に地区ガバナーを務め、ロータリー100周年を迎えた2004-05年度には、グレートブリテンおよびアイルランド内国際ロータリー(RIBI)の会長を務めました。
RIBI会長になる少し前に、ゴードンさんはルワンダと南アフリカを訪問し、1994年のルワンダ大虐殺とHIV/エイズによって孤児になった子どもたちのため、活動を行いました。その後、両国で活動していたHope and Homes for ChildrenとのRIBIパートナーシッププロジェクトの立ち上げを支援。これは、持続可能な未来に向けて食料、シェルター、医療、教育の面で孤児を支援するプロジェクトです。
ゴードンさんのアフリカでの活動はケニアにも広がっています。新型コロナウイルス感染症の世界的大流行の直前、スコットランドのロータリー会員が主導するプロジェクトの一環として、奉仕活動を行うために同国を訪問。ニュンバニ村で歯科診察を行いました。また、ゴードンさんは宿泊施設の改修も手伝いました。
「ロータリーは、人々を支援できる素晴らしい手段です。また、ロータリーのおかげで世界中に友人ができ、この世界をよりよく理解できるようになりました。人として成長することもできて、その全てが私にとってはロータリーの魅力となっていて、それを他の人々とも分かち合いたいと思うのです」と彼は言います。
ゴードンさんは郷里を離れませんでしたが、弟のイアンさんはエディンバラのヘリオット・ワット大学を卒業後、ロンドン郊外に暮らし、ローターアクターとして活動していました。コンピューター業界で働いていた時に妻となる人と出会いました。2人の兄弟とその家族は長年にわたってお互いを訪ね合っていたのですが、その弟がうつ病に苦しんでいたとはゴードンさんには思いも寄らないことでした。イアンさんは、2014年2月8日に自ら命を絶ちました。
その瞬間にイアンさんを愛する人たちの人生は一変。「どんなサインを見逃してしまったのだろう?」「もっと何かできたのではないだろうか?」と今でも自問し続けています。
ゴードンさんは、1月にフロリダで開催された国際協議会でのスピーチで、弟の自殺について初めて公の場で話しました。このスピーチの練習はつらいことでした。「楽ではありませんでしたよ。泣き崩れずに最後まで話し終えられたのは、その日が初めてでした」とゴードンさんは言います。
弟のことを話したのは、同情してもらうためではなく、メンタルヘルスの問題は誰にでも振りかかってくるのだと知ってもらうためでした。なぜ自分がこの問題についてこだわっているのかを説明したかったのです。「その後、多くの人が私のところに来て、『非常によく似た経験をした』と話してくれました」
昨年、ゴードンさんは慈善団体Bipolar UKのアンバサダーに就任し、RIBIとのパートナーシップを開始しました。弟の一件以来、この団体と深い思いを分かち合い、自殺予防に関するウェビナーを開催し、うつ状態についての動画を制作して支援しています。
そして、ゴードンさんはRI会長の優先事項の一つとして、メンタルヘルスを挙げることにしました。「このことで、メンタルヘルスについて話すことの社会的なタブーをなくし、人々がより質の高いケアを見つけられるように応援し、回復への道のりをお手伝いしようと皆さんに呼びかけていきます」
ゴードンさんにとって、このこともまた、ロータリーを通じて、個人的な倫理観を行動に移す機会となりました。
アボッツフォード・ハウスを訪れた後、ゴードンさんはケルソー・ラグビーフットボールクラブ(RFC)へと私たちを連れていきました。地元対決で、ナショナルリーグ1部のガラとの対戦でした。ボーダーズの人々を団結させるものがあるとすれば、それはラグビーへの情熱です。
この地域ではスコットランドが誇る最強のラグビー選手が何人も輩出されており、その多くは強豪のブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズでプレーしています。
試合前に、クラブハウスでマッキナリー夫妻はロータリークラブの6人の友人たちと一緒にレンズ豆のスープとステーキパイで腹ごしらえ。会話は盛り上がり、近況を語り合いながら笑い声が絶えません。
元警察官のダグ・フォーサイスさんは機転が利く人で、新しいボーダーランズパスポートRCに入会しないかと、この機を逃さずにすかさず、ケルソーRFCのニール・ヘイスティ社長に話しかけています。「ニールは、地域社会でロータリーがどういう活動をしているのかを知っていますが、パスポートクラブの柔軟な運営が気に入っています。毎週の例会はありませんし、食事会もありません。月に1度くらい集まってコーヒーとスコーンをつまんで、プロジェクトを実施しています。私たちはロータリー活動を行うために集まるのであって、ロータリーの話をするために集まるのではないわけですから。ロータリーを行動的で魅力的なものにすることを目指しています」とフォーサイスさん。ゴードンさんは称賛の表情を浮かべて聞いています。「これがロータリーの柔軟性で、これが未来なんです」とフォーサイスさんは付け加えます。
このテーブルを囲んで、スコットランド人で2人目、イギリスからは6人目となるRI会長になるマッキナリーさんをたたえる声が上がっています。彼らからは離れたところで、サウスクイーンズフェリーRC会長のサンディ・マッケンジーさんが「このことを誰もが非常に誇りに思っている。みんなが大喜びです。ゴードンは飾り気がなくて堅実なロータリアンです。地に足が着いているんです」と話します。
クラブ仲間のケイト・ギブさんは、30年来の親友がRIの会長に座することは昔から分かっていたと打ち明けます。「クイーンズフェリー教区教会のキャメロン師に、ゴードンはいつかRI会長になりますよ、と話したことを覚えています。直感かな。ゴードンは謙虚で、勤勉な人です」とギブさん。
ラグビー選手時代のゴードンさんはフォワードで、背番号は8。「ラグビー選手として将来有望かと思ったら才能がまったくなくて早々にやめました」と本人は言います。
食事の後、両チームの熱狂的なファンの間に挟まれてスタンド最前列から友人たちと試合を見守っています。トライも数多く試みられ、観客から声援が次々に寄せられる、展開の早い、流れるような試合でした。
ラグビーはマッキナリー家の生活において大きな位置を占めています。ゴードンさんが以前勤めていた歯科クリニックは、マレーフィールド・スタジアムのすぐ近くにありました。2016年に診療所を売却した際、スコットランド代表の国際試合の時にはそこに駐車していいという条件を付けました。
ヘザーさんは、ゴードンさんと一緒に試合を見ていた娘のサラさんがテレビカメラに映った時のことを、振り返ります。「ええ、ボーダーズでは子どももラグビーファンですから」と。BBCのラグビー解説者ビル・マクラーレンさんが歌うように言ったそうです。
今日の試合はケルソーはガラに31対36で敗退。スタジアムを出ようという時に、妻のヘザーさんが言いました。「ゴードンが、RI会長指名委員会の誰かがやってきて、『ごめんなさい、会長候補に電話するつもりだったのに間違えました』と言われるかと思っていた、と冗談を言っていましたよ。『別の人に電話するつもりだったのに』って。私も、世界でも一流の場所を訪れたり、各国の首脳とお会いしたりするなんて信じられません。自分の頰をつねって『私たちはスコットランドの、人口500人の小さな村出身。RIを代表するなんて、私たちは一体何をしてるんだろう』って思っていました」
私たちと別れる前に、ヘザーさんは夫が成し遂げたことを心から誇りに思っていることを認めていると言いました。「でもゴードンにはそんなこと言っちゃ駄目ですよ!」
(『Rotary』誌7月号から)