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 歴史に残る1ページ:ポール・ハリス


 
 


ポール P. ハリスは、1868年4月19日、米国、ウィスコンシン州、ラシーンで、父ジョージ N. と母コーネリアとの間に6人兄弟の2番目の子供として生を受けました。

しかし、3歳にして両親のもとを離れ、バーモント州ウォーリングフォードに住む父方の祖父母、ハワードとパメラに預けられ、ここで育つことになります。高校卒業後はバーモント大学、プリンストン大学に学び、1891年にはアイオワ大学より法律の学位を取得しました。

在学中に祖父母を亡くしたハリスは、卒業後5年間にわたり、行く先々で半端仕事にありつきながら、国内を旅して回りました。この長旅の1年目に一文無しでたどり着いた土地、サンフランシスコでは、サンフランシスコ・クロニクル(全国紙)の記者として働き、その後は、牧場の手伝い、ぶどう摘み、役者、カウボーイなど、職を転々としました。フロリダ州、ジャクソンビルではホテルの受付として夜間勤務を、さらには大理石と御影石を売り歩く営業マンを務めたこともありました。

1896年、ハリスはシカゴに移り、法律事務所を構えます。そして1905年、ガスターバス・ローア、シルベスター・シール、ハイラム・ショーレーとともにシカゴ・ロータリー・クラブを結成、1907年にはクラブ会長に選ばれました。

クラブの会員数は急速に増えていきました。小さな町の出身者たちが親睦の機会を求めて、続々とシカゴ・クラブへ入会したのです。ハリスはクラブを奉仕運動へと発展できると確信し、ほかの地域にもロータリーを拡張しようと努めました。 

1910年、ハリスは自然愛好家の集まりであるプレーリー・クラブが組織した行事で、ジーン・トンプソンと出会います。二人はその3カ月後に結婚し、シカゴの南部に新居を設けました。

同年、全米ロータリー・クラブ連合会が発足、ハリスは初代会長に選出されます。2年の任期を終えた後は、名誉会長として連合会を代表する顔となり、会員の増強と奉仕の推進に尽くしました。

ハリスは、ロータリーについて、また、自分の人生や旅の経験についての著書を何冊か書き残しています(「The Founder of Rotary」「This Rotarian Age」など)。

ロータリー以外では、シカゴ商工会、シカゴ・シティー・クラブ、シカゴ弁護士協会、プレーリー・クラブ、イースターシールといった市民団体にも関与しました。また、米国ボーイスカウトからも表彰を受けたほか、ブラジル、チリ、ドミニカ共和国、エクアドル、ペルーの政府からも栄誉を受けました。

1947年1月27日、ハリスは、親睦、職業人として恥じない精神、奉仕、友情という貴重な遺産を残しこの世を去りました。ハリスの死を惜しみ、ロータリー財団には世界中から寄付が寄せられ、その結果、財団はプログラムと奉仕を大きく広げることが可能になりました。

ロータリーの歴史に関しては、RIウェブサイトの歴史のページ、またはRotary Global History Fellowship(英語)のウェブサイトをご覧ください。

1 Comments:
At 9:04午前 on 4 5月 2009, 松宮 剛 wrote: 4月28日は、わが米山梅吉翁の命日でした。63年が没後経過しました。5月1日は、アーサー・フレデリック・シェルドンの誕生日です。彼もポール・ハリス、米山梅吉と同年の1868年生まれだというのは面白い一致と言わなければなりません。私は、今一度シェルドンの業績を検証すべきであると常々思っています。ロータリー史における彼の功績があまりに大きいと感じているからです。また、ガイ・ガンディカーが主たる貢献をした「ロータリー通解」も、今一度評価し直すべきではないでしょうか?そこに戻るべきだと言う訳ではありません。現代において改めて彼らの業績を見直すことが未来のロータリーにとって必要であるばかりでなくきわめて意味のあることに違いないと考えるからです。

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